Mと私たちの その後

最後の記事を書いてから、1週間たってしまった。

この1週間の間に、Mと私たちに起こったこと・・・変化は、あまりにも激しく 盛り沢山な内容で、書ききれない。

Mは、また、すっかり変わってしまったのだ。

Mは、少なくとも私にとって 全く想定外の・・・心を閉ざし、反抗的で暴力的で 残酷なほどの冷たさを感じさせるM・・・になってしまった。

詳細な記録をつけているわけではないので、起こった事柄の因果関係を見極めることは ほとんど不可能なのだけど、
3月1日の日中に 庭にいた私の傍で 悲しみと苦しみを抱えた表情で震えながら祈り、その後で 私を呼んで 長い長い土下座をしたM
私の息子としての 息子らしい姿は それが最後になったようにさえ見える

その時 私は、Mが発症してからの16年の悲しみと苦しみがすべて報われ 癒されるように感じたし
その姿は たぶん一生忘れないだろうと思うほどの感動と共に 私のまぶたに焼き付いた
Mが私に見せた姿は 私にとって それほどのものだった

そして その夜から Mは突然変わってしまったのだ

ぐずぐずしているわけにはいかなかった
主人と私は 相談し 二人で主治医の所に行き 主人が骨折した2月の10日以来 起こっていたことを すべて説明した
再入院と 家庭内での危険を 避けるためには もう一度 薬を飲み始めるしかなかった

主人に当たり散らしたり 抱きついたりしながら 声を上げて泣いた 朝と夜があって

けれども もっと驚いたことは
こんどは薬を飲み始めても ほとんど何も改善されないことだった

Mはまるで もっと暗い闇に入ってしまったかのように 今はもう 誰にも心を開かない 

3月1日に Mが私に見せてくれた土下座
同じ日の夜 Mはこんどは 眠っている主人の傍に行き ベッドサイドで 主人の寝顔に自分の顔を近づけて愛おしそうに見つめ 何かを言おうとして 深くうなだれていた

そしてMは その夜から(その前にも少し兆しはあったのだけど)帰って来なくなってしまったのだ

まるで どこかに旅立ってしまった人のように

あの日 Mは 私たちに別れを告げていたのだろうか

私は時々考える
Mはそれでも 愛されており 神さまのものであることには変わりない
コントロールできない怒りの中でさえ 私に向かって「滅びても良いのか!?」と激しい言葉をぶつけるMは
私が知らない何かを見、聞いているのだと思う

今のMを見て 誰がそんなことを信じるだろう

でも
もし 神さまの約束が真実であるなら
神さまが私に語られた言葉が 本当に神さまからのものであったなら

アブラハムからイサクを取り上げなくてはいけなかったように
神さまが今 どうしても なさらなくてはいけないことが あるのだろう
イサクには 何の恐れも不信仰も無かったように
Mは自分がどうなろうと神さまのものであることを 本当に知っており
これはむしろ 私への試しなのだ

教会では Mのために 断食をして祈ってくれている人たちがいる
今日も 一人の姉妹が私たちを訪ねてくれる