変化が見え始めた

注文してあった本「断薬のススメ」(by内海聡)が届いた。
この本が届く前に Mの断薬 禁断症状の苦しみのピークは 越えてしまっていたような感じがするけど・・・。
まだ 朝の苛立ちや 時おりチラッと見せる険しい表情や 多動な動きに 禁断症状の名残りが見えるとは言え、何かが正常に戻り始めたのだ

なんてことだろう
主人の骨折を機に、思いがけず私たちは、全く予期も心準備もしていなかったMの断薬に いきなり突入したのだ。
何の前触れもなく・・・と言いたいところだけど、薬を飲まなくなる直前にMが
「僕はこれから1週間かけて 今までの人生のまとめをする。」
と言った それが その予告だったのかもしれない。

この10日ほど、私は、置かれている状況に耐え、恐れや不安に打ち勝って自分の信仰をもたげる為に、
家にいる間 聖霊に満たされたクリスチャンたちの証しと賛美を 聞き続けていた。
特別に リーハイバレージャパニーズのメッセージは 私を助けてくれた。
のんきな主人は そんな私を インターネット中毒になってしまったと思っていたかもしれないけれど(笑)
私は そうでもしないと 耐えられなかった 


Mの足取りはしっかりして、動きが活発になり、肌にも血色と艶が かすかに戻り始めてきているように見える。
そして、私たちが もうすっかり忘れてしまっていた、幼い頃のM・・・
もし病んでいなければ。そう言えば こうだった・・・と思われるような表情を 取り戻し始めた。

向精神薬に中毒性があると気がついたのは 今から11年ぐらい前のこと
1日のうち ある特定の時間(夕方頃)に、Mの多動が激しくなり 眼球が反転する(白目をむくような感じ)ことで、私は、
「これはもしかして中毒症状では?」
と、気がついたのだった。
すぐ その頃の担当医師に尋ねたのだけれど、
「いや 症状が悪化したのでしょう。」
と、取り合ってもらえなかった。
そんなはずはない 何かがおかしい と感じて 自分でインターネットで薬と副作用について調べ、私はその情報をプリントして主治医の所に持って行ったけれど、医師は私に対して怒るだけで、取り合ってもらえなかった。

でも、今になって、私が感じていたことは間違っていなかったのだとわかる。
「断薬のススメ」は、そのことを確認する為に 役に立った。

夕方になりMは、私に向かって
「働きたい。」
と言い出した。
「いつでも、仕事を探すのを手伝うわよ。」
と答えると、
「いや。僕は1人でそうしたいんだ。それが当然なんだよ。」
と言う。

ほんとにほんとに どうなってんの・・・かしら?

主人と外出

昨日 Mは、久しぶりに主人と 海釣りに出かけた。
肋骨を骨折して仕事を休んでいる主人が 少しずつ回復し 車の運転ができるようになってきているのを 感じ取ったらしく、主人に行きたいと言ったのだ。
少し不安があるのか、自分から進んで 昼薬と夕薬を取り出し、ポケットに入れて出かけた。
それを外で飲んだらしく、夜に帰宅した時は 薬を飲んだ顔・・・穏やかで愛らしく ユーモアもあり どこか鈍い感じの顔になっている
そういうMを見ると ホッとするものがあり 薬も適度な服用なら悪くないのかな と思ってしまう

寝る前の薬 リスペドリン、デパスフルニトラゼパムなどは もう10日ほど飲んでいない
先週は、飲んだ方が良いのでは と思うほど 夜中の徘徊と緊張が続いたけれど
2,3日前から 夜ぐっすり眠るようになってきた

朝 起床後しばらくは 少し苛立つ日が続いている
甘い飲み物が欲しくてたまらず コンビニへ行ってしまうのだ
言うことを聞きそうにないので 穏やかに注意しながらも 好きにさせて様子を見ていると
甘いドリンクを飲んだ後は落ち着いて
主人と私が礼拝していると 傍に来て座り 頭を垂れている

アップダウンしながらも 少しずつ 薬の無い状態に慣れてきているということなのか
手の震えが見られなくなってきたことが嬉しい
たぶん本人も 体が軽くなってきたことを 感じているのでは・・・

今朝は足の痺れを訴えるので 糖分の摂りすぎは糖尿病になるので 気を付けるように少し話すと 頷きながら聞いている

今日は主人に誘われ 散髪に出かけた

今日のMは とても機嫌が良い・・・

何かが見えたり聞こえたりするらしく、
昨日までの、険しさや厳しさ、拒否的な態度が消えて、何やら楽しそうにしている。

ほとんど話さない
けど 会話ができないわけではなく、私が
「M、こんどの歯医者さんはいつ?」
と尋ねると
「2週間後の水曜日。」
そして
「明日はデイケアに行かない。」
などと話してくれる。
自閉症らしい雰囲気
多動児のように歩きまわっているのだけど
時々 ふと立ち止まって じっと私の目を見る
その目の輝きが美しく 澄んでいる 

独り笑いが多く、
「何を見ているの? 何が聞こえるの?」
と聞いても、ニコニコ笑って 教えてくれない。

変・・・だけど、攻撃的ではないので、いやな感じが無い

驚くのは、
今日は全く薬を飲もうとしないこと
(朝から 1度も飲んでいない)
そして ほとんど何も食べようとしないこと
(今日は、私が朝 目の前に差し出して勧めニンジン入りのフルーツジュースをグラスに半分と、夕飯の煮物を 文字通りひと口食べただけ)
吐き気などの訴えは無いが 食べ物に全く関心を示さない

一番苦しい時は 過ぎたのだろうか?

苦しみが続く

昨晩、Mはたぶん、一睡もしていない・・・。

あまり広くもない家の中を どれほど 行ったり来たり 歩きまわったことか。
でも、
「眠れないの?」
と尋ねると
「いや、眠れる。」
と答え、私にそう訊かれることさえ 嫌がっているように見えた。

夜中の2時半頃には、気にされていることが本人のプレッシャーになるかもしれない と思い、
私も起き出して 家の中を昼間のように明るくし、 昼間のように食事をしたりした。
療養中の主人も起きて お茶を飲んだり本を読んだりしていた。

心の中で祈りながら見守っていたけれど、明け方になっても眠れる様子が無いので
「寝る前の薬を飲む・・・?」
と尋ねてみたが、それに対しても
「いや、飲まない。」
と きっぱりした返事。

今日はデイケアに行くのは到底無理なのでは と思ったけれど、
朝になると 私の用意したお弁当を持って、普通に出かけてしまった。
朝の薬も拒否して・・・。

1日4回のうち、昼薬と夕薬の2回だけを飲む ということを 自分の意志で続けているのだ。

本人がその気なら、私も少し勉強して 助けなくては・・・と思い立ち、
Mが出かけてから、Amazon
「断薬のススメ」(by内海聡
という本を注文した。

けれども、その際に ネットで少し調べてみると
ほとんどの精神科医は 患者が向精神薬を減らすことに協力しないので、患者はそれをしたいなら 自分で頑張るしかないということ
薬を止めること自体が、時には命に関わるほど危険な 苦しい戦いなのに、
止めることに成功したとしても、重大な後遺症が残り、生涯苦しみ続けることが ままあると言う。

どうして私は こうなる前に、もっと主人と 薬の過剰投与と副作用について 真剣に話し合い 対決しなかったのかと 
悔やんでも悔やみきれない苦い思いが、また私の中で 頭をもたげてくる・・・

でも主人は そんな私の思いなど何も知らず 今朝もふだんと全く変わらないおだやかな様子で 聖書を読んでいる・・・。
なんていう平安を持ってる人なんだろう。
それはそれで すごい!と思う。

そしてMは、そういう主人を見ているのだ。
私たちが礼拝をしている間も、隣に座って一緒に聖書を開き、主人の言葉に耳を傾け、何度も頷いていた。

破壊された脳神経。
傷ついた心。
失われた16年という年月。
やっと退院できたと思ったのに、こんどは、断薬のための戦いをしなくてはいけないのかと、
心が 暗闇の中に落ちて行きそうになる・・・
でもその中で私は、
Mが生まれる前 第三子を妊娠したとわかった時に届けられた 聖書の言葉を 思い出していた。

「私は造った。ゆえに必ず負い、持ち運び、かつ救う。」(イザヤ46章4節)

Amen.
そう、確かに主は 私に、そう言われたのだ。

今がどうであったとしても、主の約束は真実であることを、私はもう一度 告白しよう。

そして、私たちが信じているのは、無から有を生じさせることが できるお方だということを。

禁断症状を経験する

この一週間は、緊張の連続だった。

日曜日の夜に Mの父親が転倒し、月曜日に救急車を呼んで病院に行き、肋骨全治4週間の怪我だとわかったことで、
ふだんから父親に依存してきたMはショックを受けてしまったようで・・・

火曜日の午後、頭を抱えて 将来に対する不安 恐ろしいほどの孤独感を訴えていたのが、夜になり
「僕は これから1週間かけて 自分の今までの人生のまとめをしなくちゃいけない。」
と言い出し、その後、何も食べなくなってしまった。
口数も減り、じっと考え込むようになってしまった。
夜も眠れないと言い、火曜日の午前を最後に、デイケアにも行かなかった。

気がつくと 4日ほど薬を飲んでいなかったけれど、
それは 自分の意思で決めて そうしているようだったので、私は Mの意思を尊重し 目を離さず見守ることにした。

けれども、向精神薬には 麻薬のような中毒性がある。
そのことを 私は知ってはいたけれど、
十数年も多量に飲み続けた後にそれを中断すると、どれほどの禁断症状があるのか、今回は思い知らされたような気がする。

手の震え、
極端な怯えの感情、怒り、異常な感覚の鋭さ、注意力散漫、会話ができない、
緊張から来ると思われる不眠、食欲不振・・・
Mは この3~4日間、本当に苦しんでいた。

主人と私が聖書を読んだり祈っていると 傍に座って耳を傾け、
自分でも 時おり「イエスさま」と 呼び求めている。
けれども、苦しみの方が大きいようだった。
昨日は、仕事から帰ってみると ゴミ箱が一つ 破壊されてあった。
百均で売っているようなものなので 思わず
「高い物を壊すのはやめてね。」
と言ってしまったけど(笑)

Mを見ながら私は、
(どうして もっと早い時期に 薬を減らしてやれなかったのだろう。)
と 苦い思いにかられそうになってしまった。
私にはいつも 向精神薬への疑問があり 葛藤があったけれど、薬の適正な量や副作用について 主治医と話し合いたくても、親権者である主人に全くその意思が無いので、どうすることもできないまま 今日まで来てしまったのだ。

昼頃、Mは妹に電話をかけ、「元気でいてね。」と言われたことが よほど嬉しかったのか、私の所にまで来て「イライラしてごめん。」と 謝ってくれた。
その時に 話し合い、薬はもちろん飲まない方が良いのだけど、急にやめると禁断症状で苦しむことになることを説明し、とりあえず1日4回のうち 2回だけは飲み続けることにした。

そして、夕薬を飲んでから Mは、今日は 久しぶりに ぐっすりと眠れている。
何日間か眠れていなかったので、よほど疲れていたのだろう。
いびきをかいている。
とりあえず 良かった・・・。

Mが話したこと 教会について

しばらく前にMが
「僕は どうして 教会に行けなくなってしまったんだろう・・・。」
と、独り言のように言って 考え込んでいたことがある。

私はそのことを 忘れていたのだけど、昨晩 夜中にMが
「ああ。わかった!」
と、話し始めた。

まだMが10代で、発症の兆しが顕著に見え始めた、いわゆる急性期のような時期に、
あるキリスト教会の人たちが 私たち家族を心配して 訪ねてくれたことがあった
それは愛の行為でしかなかったと 私は思うのだけど、
Mは、その時 その人たちがしたことが とても嫌だったと言う

あの人たちは 僕が大切に持っていた聖書を パラパラッとめくってパタンと閉じて この世のことを話し始めた
その時 僕は失望して、もうキリスト教会には行きたくないと思った
あの人たちがしてることは イエスさまと正反対に見えた
僕は 1パーセントの嘘が嫌なんだ

1パーセントの嘘
僕はそれが我慢できなかった
そして あの人たちが来た時 僕は 教会に対する怒りを持ってしまった
とMは言う

私は Mの話を聞くにとどめて 何も言わず
後で 久しぶりに 東海地方にあるその教会のホームページを開いてみた
ホームページから伝わってくる教会の雰囲気は 明るくオープンで健全で
たぶん知名度も (少なくともクリスチャンの間では)好感度も高い教会なのでは と思う・・・

Mの話に
教会って
クリスチャンって
どんなに明るいオーラを放っていようと
全く思ってもみないところで
思ってもみないことで
きっと誰かを失望させたり傷つけたり
つまずかせているのだと
それぐらいに思ってちょうどなんだと
考えさせられる話

ここに私は どこまで自分のことを書いて良いのか わからないけど、
Mと関係がありそうなことなので 記録という意味で 少し書いておこうと思う

Mが退院したのが昨年の10月末で
それから3か月の間 私は体調を崩し続けている
それで もう健康に自信をなくしてしまった

11月には 息苦しさや激しい動悸があり 心臓の精密検査を受けに行き
12月には 突然39℃台の熱が出て なかなか引かず 2週間仕事を休んでしまい
1月には 年末から続いていた咳がひどくなって 今日やっと行った病院で インフルエンザ しかも
「かなり こじらせましたね!」

検査の結果 心臓にも肺にも異常は見当たらないけれど 白血球の数値が異常に高く
菌に感染しやすい状態になって 気管支にも炎症がありますね とのこと・・・

健康にも 免疫力にも 自信があったのに
神さまは私から それを取り上げた

それに伴って 収入も 3分の2ぐらいになると思っていたけど 半分ぐらいになるかもしれない

しかも お正月頃から パソコンと
なんとプリンターまで おかしくなってしまった
でも今の私には トラブルを解決しようとする 精神力 集中力 知力が もう無くて・・・
いっそプロバイダを解約しようかと考え始めた

もう戦うのはやめにしたい・・・
だって
これらのことが 神さまの御手によるのなら 私にいったい何ができるだろう

私が自信を持っていたもの
私が頼みにしていたものを
神さまが取り上げようとされているのなら

そんな強制的なご介入がなければ手が離せないのなら
私はどんなに罪ふかいのだろう

それともこれはサタンの策略なのか

Mは相変わらず穏やかに過ごしている
「神さまは最近Mに何か話してくれた?」
と尋ねると
「天に昇って来なさい」
と言われたよ
母さんも呼ばれているよ 
と言っていた